<Begegnung:ベゲーグヌング(出会い)>
都心に堂々とそびえ立った大きなビル
外観をシックな黒に染めあげ、夜になればその存在すら闇に紛れてしまいそうなその建物の前に彼は立っていた。
と言うより、その圧倒的な存在感のビルを目の前にして今一歩前に進めずいたと言うのが正しい。
「こ、ここが…」
ごくりと唾を飲み込み、もう一度見上げる。
一見すると大きな墓石の様に独特な艶と暗い光を放つビルには”961”と大きなロゴが飾られていた。
そして、彼は自身の社章も金色で”961”と彫られている事を確認する。
「よ、よし!行こう」
小さく気合を入れて、その大きな建物へと足を踏み入れた。
今期の961プロダクションの入社試験に唯一プロデューサーとして合格した彼は、今日初めて実務の為社長に呼び出されたのだった。
高速エレベーターで奇妙な浮遊感をお腹に感じていると程なくして目的階に辿り着いた。
エレベーターを降りた瞬間、予想だにしなかった事態に彼は目を丸くした。
怒号
男女入り混じった喧騒がそこにあった。
呆気に取られ、暫く彼はそこに立ち尽くしていたがその喧騒が止む事は無い。
そしてその喧騒は彼が今正に向かおうとしている場所が発信源の様だった。
我に返り恐る恐る事務所と書かれたドアをノックする。
が、相変わらずの喧騒が続くまま誰一人として出てくる気配は無い。
「入って…いいのかな?」
もう一度控え気味にノックをして彼がゆっくりとドアノブを捻るとガチャリと音を立てドアが小さく軋んだ。
そこには物静かに落ち着いた雰囲気のある自社ビルからは想像もしなかった内面がそこにあった。
老若男女問わず、互いに相手を蔑み、罵り
ある者は悲観して涙を流し、ある者は怒り悲鳴にも似た声を上げ
彼の想像していたアイドル達の華やかな職場はそこには欠片も見えなかった。
「あの、何か御用ですか?」
目の前の光景に唖然と立ち尽くして彼に受付の女性が声を掛けてくる。
我に返った彼が訪ねた理由を告げると彼女は笑顔の一つも見せず事務的に社長室へと案内をした。
彼女がドアを開け入室を促す様に立ったので彼は小さく礼を言って社長室へと足を踏み入れた。
「やぁ、良く来たね。取り敢えずそこに掛けなよ」
社長に促され彼はソファに腰掛けた。
社長室もビルの外観と合わせ黒を主体にしたシックなデザインの家具で統一されていて落ち着いた雰囲気だった。
「今日から早速新人のプロデュースを任せるからね、もう少ししたら候補生も来ると思うんだけど。ま、ゆっくりしてなよ」
「はい、ありがとうございます!」
「それより、社内の雰囲気はどうだった?」
唐突な社長の質問に彼は思わず言葉を濁した。
「あ、あの…何と言うか。活気があ、溢れてますね」
阿鼻叫喚の地獄絵図を目の当たりにして、素直にそれを言葉にする事は出来なかった。
「なるほどね、まぁうちも社訓があるからね」
「そうなんですね、肝に銘じておきま…ん?」
社長と話しをしていると不意に違和感を感じた。
「ち、ちょっと失礼します」
彼自身ハッキリとした違和感を感じた訳ではなかった。
何か音が聞こえた様な聞こえなかった様な。
でも、何となく気になってしまう。そんな感じだった。
社長室を出て見ると相変わらずの喧騒がそこにある中、微かにコツ コツと木で床を叩く音がする。
周りの雑音に掻き消されてハッキリとは聞こえていないが、確かにそこにあった。
コツ コツ
とその音は徐々に近付くにつれ周囲もその音の存在感に気付いたのかいつの間にか喧騒は止んでいた。
そして事務所の扉の前でその音は止まるとゆっくりとドアが開かれる。
ドアからその姿を覗かせた音の正体は一人の女性だった。
透き通る様な銀色の髪をなびかせて入ってきた女性は薄茶色の瞳だけを滑らせ辺りを見渡す。
室内を一通り見回すとつーっと視線を滑らせ申し合わせていた様に瞳を止めた。
不意に視線が交じり彼は一瞬ドキリとした。
冷たくあしらう様に周囲を見渡していた視線がふっと柔らかく笑んだ様に見えた。
女性は視線を逸らさぬまま、彼の許に歩み始めた。
先程までの喧騒は何処へやら、そこに居た全員が彼女の存在に釘付けにされていた。
ドアを開けていた彼に小さく礼をすると彼女はフワリと隣をすり抜け社長室に入ってくる。
女性特有の髪の香りが彼の鼻腔をくすぐった。
「やぁ、いらっしゃい」
社長は彼女にそう声を掛けるとドアを開いていた彼に閉める様、目で合図をする。
彼が扉を閉める音がパタンと静まり返った、事務所に小さく響いた。
「じゃあ早速だけど紹介しようか」
そう言って社長は今入ってきたばかりの女性に手をかざした。
「彼女が君の担当アイドルになる四条貴音クンだよ」
社長の紹介を受けると四条貴音はふわっと透明なスカートの裾を持ち上げ小さく膝を折った。
中世のお姫様然とした仕草に彼は思わず呆然としてしまう。
その不自然な仕草が余りにも自然だったので、彼は思わずかしづいてその御手を取るべきか躊躇してしまった。
「こほん…」
ふと我に返り、思わずそんな事を考えてしまった恥ずかしさを押し隠す様に咳払いを一つ
ニコリと微笑んで自分から手を差し出した。
「僕が君の担当プロデューサーだよ。よろしく!」
貴音は差し出された手を一瞥して視線を戻すと淡く微笑んでその手に軽く触れる様に自分の手を重ねた。
その手に倣い彼も強く握る事はせず指を曲げる程度で治める。
「四条貴音と申します。あなた様に出会えて光栄に思います。ご指導の程、よろしくお願い致します」
姿勢、仕草、口調、言葉
その全てがキチンと整えられた貴音の丁寧な挨拶に、急に自分が偉くなった様な気がして何だか面映い思いがした。
社長は二人の姿を見て小さく笑う。
「いい感じだね、頑張ってよ!」
「はい!」
「はい」
完璧に重なった返事にお互いに顔を見合わせる。
「頑張ろうな、貴音!」
「はい、よろしくお願い致します」
「それじゃあ、今日はここまでだから後は自由に過ごしてくれていいよ」
「はい、それでは失礼します」
彼がドアを開くと貴音もその後に続く。
「ああ、そうだ」
背後で不意に社長が声を上げた。
「言い忘れてたけど」
「はい?」
「765プロに負ける様な事があればクビだからね」